備忘録

メンヘラこじらせたアラサー看護師の日常

私とこのブログを始めた理由について

本来ならこの記事は自分はどういう人間です、とまず簡潔に自己開示するところから始めるものだと思います。


ですが、私は自分がどういう人間であるか上手く説明できません。


自己開示する事で嫌われたり劣った人間だと思われたりする事が怖いという自己愛的な理由もありますが、

そもそも語れるような自分はほとんどないようなもので、確固たる意志も信念もなく周りに流されるように生きてきたからです。


他人に自分を説明するときが全くない訳ではないので、

サイコロの側面を撫でるように真面目なところがあるとか、

流されやすいところがあるとかそういう説明をすることはあります。


でもそうすると、100面サイコロの目をひとつだけ取り上げて残りの99面に目をつぶっているような感覚、つまり嘘を付いているような気持ちになります。


私のダイスの目はいつもその面が出るなんて事はなくて、ほとんどが一回きりだからです。


普通の人間もそういうものだと、ある程度の多面性があるものだと思いますが


お前はよく分からないとか

少し会わないだけで違う人間になったみたいだと色んな人に何度も言われる度に


人よりもサイコロの目が多いのではないかと、そもそも自分というものなんてないんじゃないかとより強く思うようになりました。


なので私が自分について嘘偽りなく語ろうとすると、

他人とどう関わってきたか、それに対して自分がどう思ってきたかと言う事がだらだらと続く事になります。


長くなると思いますが、よかったらお付き合いください。



私は小さい頃から親の願う優しくて真面目ないい子のふりをしたり、

友達が望むなんでも言う事を聞く都合のいい子に甘んじたり

恋人が求める寂しがりで大人しい人間を演じたり


いつも他人の顔色を伺って他人が望む自分でいようとしてきました。


そうしなければ自分が価値の無い劣ったどうしようもない人間だと言う事が露見して見捨てられると思っていました。


自分を求められる型にはめようともがき続けた結果、何もかもが辛くなって気がつけば過呼吸で倒れたり涙が止まらなくなったり吐いたり自傷行為をしたりしていました。


親を悲しませたり友達を心配させたり恋人を怒らせたりして、

それに対して心のどこかでまだ見捨てられてなかったと安心する自分が憎らしくて、情けなくて、虚しくて、生きる価値のない、生きているだけで他人に迷惑をかける害悪に思えて、消えてしまいたいと思うようになっていました。


看護師になろうと思ったのは人の役に立てない自分に存在価値がないと思ったからでした。

看護師として人の役に立てたら、自分の事を認める事が出来る気がしました。


結果として患者さんにとって良い看護師であろうとすることで、

人に依存しない関わり方を覚え、他人を振り回す事も少なくなりました。

患者のために生きていなきゃいけないと、患者に生き甲斐を求める事で死にたいと思う事も少なくなりました。


でも今まで人との関わりを依存的に、他人の言いなりになる事で怠け続けてきた自分にとって看護師としての人との関わりはかなりの負担でした。


患者の安全を守るために、「縛られるくらいなら死んだ方がマシだ」という患者の叫びに耐えながら家族の了承を得て手足を抑制したり

安全な業務の遂行のために、患者の思いや訴えを大切にしている先輩と言い争いになったり


人と対立する事は私にとって嫌われる事と同義であって、確立した自分を持たない私にとって堪え難い事でした。


精神的に余裕がなくインシデントを繰り返す私を心配した係長に心療内科を勧められ、

投薬治療とカウンセリングを続けた結果、寛解に至る事が出来ました。


もう自分は他の人となんら変わらない人間だと思う日もあれば、

自分と患者を重ねて患者の辛さに引き摺られて過呼吸になったり

自分と母親の依存した関係を他人と重ねて周りを振り回したりして


未だに自分と他人の境界をふらふらしていることに気付かされる日もあります。


他人のため、と言い訳をしておきながら結局他人に自分を投影して充足感を得ようとする自分を律する為に、

他人と自分の境界を引き直す事ができるようになるためにこのブログを始めました。